「なんてきれいな花なのだろう・・・」
3才か4才の頃でした。
庭に咲く 水仙を見て子どもごころに思ったのです。
一戸建てに住んだ時に 岐阜の実家から球根をもらい植えました。
カナダに発つ時に 何人かの方々にお分けしました。
今回所要があって友人宅を訪ねると 庭にも道路にも
その水仙が咲いていました。
11年後に あんなに増えるとは・・・
嬉しい驚きでした。
2011年2月4日金曜日
2011年2月3日木曜日
身構える態度
定期的に 施設で育った青少年に会う機会があります。
彼らが 施設で育ったとは知りませんでした。
担当の方とお話している時に
「Aさん、Bさん、Cさんに呼びかけた時の反応が気になります。」
と話すと 彼らはそれぞれ事情があって施設で育った、と聞きました。
社会で出会う人々に対して 身構える、という姿勢があるのです。
これは 口うるさい母親に育てられた、という方に共通するものがあります。
幼少時にどのような対応をされたかが その人の基礎を作る、という理論を思い出しました。
「勇気づけの対応」をされていたら違っていた、と思います。
彼らが 施設で育ったとは知りませんでした。
担当の方とお話している時に
「Aさん、Bさん、Cさんに呼びかけた時の反応が気になります。」
と話すと 彼らはそれぞれ事情があって施設で育った、と聞きました。
社会で出会う人々に対して 身構える、という姿勢があるのです。
これは 口うるさい母親に育てられた、という方に共通するものがあります。
幼少時にどのような対応をされたかが その人の基礎を作る、という理論を思い出しました。
「勇気づけの対応」をされていたら違っていた、と思います。
2010年5月9日日曜日
安全な場所
EMDRセラピーでは 「安全な場所」のイメージから治療を始めます。
トレーニングを受ける時は 交代でクライエントになり、私も自分の「安全な場所」探しをしました。
言葉を聞いて 真っ先に浮かんだのが 子どもの頃 窓ごしに見える 風に身をまかせている緑が見える所でした。
モントリオールで初めて借りたアパートの窓からも 同じように木の枝が風に揺れていました。勉強に疲れるとベットに横たわり ボーッと緑を見ていました。
いまの住まいも同じように緑の葉が風の中で泳いでいます。
眺めていると あっという間に時間が過ぎます。
平和なひとときです。
トレーニングを受ける時は 交代でクライエントになり、私も自分の「安全な場所」探しをしました。
言葉を聞いて 真っ先に浮かんだのが 子どもの頃 窓ごしに見える 風に身をまかせている緑が見える所でした。
モントリオールで初めて借りたアパートの窓からも 同じように木の枝が風に揺れていました。勉強に疲れるとベットに横たわり ボーッと緑を見ていました。
いまの住まいも同じように緑の葉が風の中で泳いでいます。
眺めていると あっという間に時間が過ぎます。
平和なひとときです。
2010年5月2日日曜日
ほめられて 勇気をくじかれる
褒めることは 良いこと・・・
と 多くの人が思っています。
私の恩師 坂本洲子先生の著書「6歳まではたっぷり愛して7歳からは見守って」の中に “「ほめられつづけてきた人」「叱られ続けてきた人」ともに心に傷がある”とあります。
ある方の早期回想です。
「4才位の時 小川に落ちました。渡っていた小さな橋が揺れたんです。お父さんに頼まれて持っていた数個のナスを 流されないように一生懸命拾いました。お父さんが お母さんに話しているのが聞こえました。“泣きもしないで ナスを拾っていた。すごい子だ。”このことは長い間忘れていたんです。でも何かを一生懸命にやっている時 思い出すようになりました。」
この人は 叱られたのではなく むしろ褒められています。
けれど 結婚して夫や義理の家族からは けっして認められたことが無かった、一生懸命やっても感謝の言葉を聞いたことは無かった、といいます。認めてもらえないことに 何をやっても喜んでもらえないことに とても傷ついたそうです。
「勇気づけ」を学ぶ中で 彼女が 一生懸命やった後、努力を認められるのを期待していた、と気がついた時に 幼いころのお父さんが彼女を認めていた記憶と重なったそうです。
坂本先生の本の一文のように 褒められ続けた訳ではないのですが その後の彼女が認められない時に傷つくことにつながったのです。
「感謝されなくてもいい、自分がしたかったから行動したのだ。結果を認めて欲しい、と思った自分が間違っていた。」と思うようになって 楽になったそうです。
と 多くの人が思っています。
私の恩師 坂本洲子先生の著書「6歳まではたっぷり愛して7歳からは見守って」の中に “「ほめられつづけてきた人」「叱られ続けてきた人」ともに心に傷がある”とあります。
ある方の早期回想です。
「4才位の時 小川に落ちました。渡っていた小さな橋が揺れたんです。お父さんに頼まれて持っていた数個のナスを 流されないように一生懸命拾いました。お父さんが お母さんに話しているのが聞こえました。“泣きもしないで ナスを拾っていた。すごい子だ。”このことは長い間忘れていたんです。でも何かを一生懸命にやっている時 思い出すようになりました。」
この人は 叱られたのではなく むしろ褒められています。
けれど 結婚して夫や義理の家族からは けっして認められたことが無かった、一生懸命やっても感謝の言葉を聞いたことは無かった、といいます。認めてもらえないことに 何をやっても喜んでもらえないことに とても傷ついたそうです。
「勇気づけ」を学ぶ中で 彼女が 一生懸命やった後、努力を認められるのを期待していた、と気がついた時に 幼いころのお父さんが彼女を認めていた記憶と重なったそうです。
坂本先生の本の一文のように 褒められ続けた訳ではないのですが その後の彼女が認められない時に傷つくことにつながったのです。
「感謝されなくてもいい、自分がしたかったから行動したのだ。結果を認めて欲しい、と思った自分が間違っていた。」と思うようになって 楽になったそうです。
2010年3月4日木曜日
なのはな生協さん
新しい土地に来て 生協に加入することにしました。
いくつかの生協さんの内容を比較してから決めようと思いました。
きょうは なのはな生協の営業の方が来てくださいました。
話の流れで どうして生協で働くことにされたのか伺ってみました。
「子どもの頃 親が生協に入っていたんですよ。配達の仕事って いいなぁって 思ってたんですね。ちょうど就職する頃に 募集があったんです。僕は 配達のイメージから入ったんですよ。食物について勉強したのは入ってからですね。いろいろ研修受けさせて頂いて。」
と 思いがけず 子どものころの思い出を聞かせて下さいました。
自分の肯定的な記憶につながっているお仕事をされているので 生き生きと働いておられるように 伝わってくるのですね。生協で働かれて 8年目、営業は2年目、とおっしゃっていました。
いくつかの生協の特徴と良い点、弱い点についても教えて下さいました。
お試しセットで購入した新鮮なお豆腐、本当に美味しくて 一瞬
「おやつになるかも・・・」
と思えたほどでした。
肯定的なイメージを持って生協の営業をされている方のお話!
とても良いエネルギーを頂きました。
いくつかの生協さんの内容を比較してから決めようと思いました。
きょうは なのはな生協の営業の方が来てくださいました。
話の流れで どうして生協で働くことにされたのか伺ってみました。
「子どもの頃 親が生協に入っていたんですよ。配達の仕事って いいなぁって 思ってたんですね。ちょうど就職する頃に 募集があったんです。僕は 配達のイメージから入ったんですよ。食物について勉強したのは入ってからですね。いろいろ研修受けさせて頂いて。」
と 思いがけず 子どものころの思い出を聞かせて下さいました。
自分の肯定的な記憶につながっているお仕事をされているので 生き生きと働いておられるように 伝わってくるのですね。生協で働かれて 8年目、営業は2年目、とおっしゃっていました。
いくつかの生協の特徴と良い点、弱い点についても教えて下さいました。
お試しセットで購入した新鮮なお豆腐、本当に美味しくて 一瞬
「おやつになるかも・・・」
と思えたほどでした。
肯定的なイメージを持って生協の営業をされている方のお話!
とても良いエネルギーを頂きました。
2009年12月14日月曜日
Pさんの決心
Pさんは 長年公務員として働いて来られました。
お子さんたちは就職して自立して暮らされています。
Pさんは 結婚しても 子どもを産んでも 一度も仕事を辞めようとは思わなかったそうです。
「経済的にも 生活技術の点でも自立した結婚生活を持ちたい。精神的な支えとしての結婚はしたいけれど 夫の収入で家族が生活するという形態は持ちたくない。夫も生活技術を持ち 対等な関係の結婚をしたい。」
と 何と小学校3~4年の頃に思ったそうです。
ご両親の夫婦関係を見ていて そう考えるようになった、とのことでした。
そして その形態を貫かれました。
彼女の新婚時代から知っている私は ある日彼女のお宅で夕食をご馳走になりました。
ご飯のお代わりを ご主人が自分で立ってされているのを見て 新鮮な驚きを感じたことを覚えています。
当時の私は Pさんの主張がよく理解出来ませんでした。
最近、子どもの頃のお話を伺って 納得できました。
子どもは 常に学んでいるのですね。
そして そこで学んだことを指針に自分の人生を設計するのですね。
お子さんたちは就職して自立して暮らされています。
Pさんは 結婚しても 子どもを産んでも 一度も仕事を辞めようとは思わなかったそうです。
「経済的にも 生活技術の点でも自立した結婚生活を持ちたい。精神的な支えとしての結婚はしたいけれど 夫の収入で家族が生活するという形態は持ちたくない。夫も生活技術を持ち 対等な関係の結婚をしたい。」
と 何と小学校3~4年の頃に思ったそうです。
ご両親の夫婦関係を見ていて そう考えるようになった、とのことでした。
そして その形態を貫かれました。
彼女の新婚時代から知っている私は ある日彼女のお宅で夕食をご馳走になりました。
ご飯のお代わりを ご主人が自分で立ってされているのを見て 新鮮な驚きを感じたことを覚えています。
当時の私は Pさんの主張がよく理解出来ませんでした。
最近、子どもの頃のお話を伺って 納得できました。
子どもは 常に学んでいるのですね。
そして そこで学んだことを指針に自分の人生を設計するのですね。
2009年10月8日木曜日
I can help you!
EMDRのトレーニングパート1を ロンドンで受けて来ました。
ロンドンと言っても カナダのオンタリオ州のロンドンです。
10月1日(木)の夜から講習が始まり2(金)~4(日)の3日間
理論、デモンストレーション、実技をしました。
デモンストレーションは 実際にセラピーを継続して受けているクライエントに
インストラクターである心理学者が EMDRセラピーを行う、というものでした。
Youtubeでセラピーの一部を見たことはあるものの
実際に見たのは初めてでした。
クライエントから次々に出てくる怒り、苦しみ、悲しみの感情の言葉や涙に
研修を受けていた19人は 息を潜めて見入っていました。
セラピーの初まりには 落ち着かない、不安な表情だったクライエントから
セラピーが進むにつれて肯定的な言葉が出てくると共に安定した表情になり
笑い声を何回も聞くことが出来ました。
クライエントの始まりの自分の認識は「私は 悪い人間です。」でした。
ところが セッションが終わった時には「私はすごく良い人よ。」に変わっていました。
インストラクターは EMDRを始めてから
"I can help you!"
と言えるようになった とのことでした。
ロンドンと言っても カナダのオンタリオ州のロンドンです。
10月1日(木)の夜から講習が始まり2(金)~4(日)の3日間
理論、デモンストレーション、実技をしました。
デモンストレーションは 実際にセラピーを継続して受けているクライエントに
インストラクターである心理学者が EMDRセラピーを行う、というものでした。
Youtubeでセラピーの一部を見たことはあるものの
実際に見たのは初めてでした。
クライエントから次々に出てくる怒り、苦しみ、悲しみの感情の言葉や涙に
研修を受けていた19人は 息を潜めて見入っていました。
セラピーの初まりには 落ち着かない、不安な表情だったクライエントから
セラピーが進むにつれて肯定的な言葉が出てくると共に安定した表情になり
笑い声を何回も聞くことが出来ました。
クライエントの始まりの自分の認識は「私は 悪い人間です。」でした。
ところが セッションが終わった時には「私はすごく良い人よ。」に変わっていました。
インストラクターは EMDRを始めてから
"I can help you!"
と言えるようになった とのことでした。
2009年8月30日日曜日
アラスカでも生きていけそう!
「アラスカでも生きていけそう。」
1年毎に転校し、新しい環境での生き方を身に着けたMさんの子どもの頃の思いです。
「それを思ったのは何才だったの?」
と尋ねると
「多分 小学校の高学年。」
とのこと。
北は宮城県から南は宮崎県まで 小学校から高校まで11校を経験したそうです。
学んだことは
「所変われば 常識が変わる。前の土地で真実だったことは 次の土地では間違いだったりする。ある土地で ビー玉と呼んである土地では それをラムネ玉と呼ぶ。でも自分が新しい土地に行ったら それをそのまま受け止めて 前からラムネ玉と呼んでいたように振る舞う。どこの土地に行っても同じだったことは 人に嫌なことを言ったりしたりするのは 人に嫌われるということ。大切なのは 何処へ行っても“やさしさ”。自分のことは自分でして 人が困っていたら助ける、助け合う。」
など。
人は誰でも自分の心理学を持っていますが Mさんほどアドラー心理学に近いものを持っておられる方には 初めて出会いました。
「アラスカでも生きていけそう。」
と言うのは Mさんが自分の柔軟性、適応力に気づかれていたということですね。
Mさんは 教師を32年間勤めた後退職し ホームヘルパーの資格を取って 時々ヘルパーをされています。
秋からは エステシャンになる学校へ通われるとのこと。
新しいことへの挑戦をためらわない態度は 子どもの頃に培われたものですね。
1年毎に転校し、新しい環境での生き方を身に着けたMさんの子どもの頃の思いです。
「それを思ったのは何才だったの?」
と尋ねると
「多分 小学校の高学年。」
とのこと。
北は宮城県から南は宮崎県まで 小学校から高校まで11校を経験したそうです。
学んだことは
「所変われば 常識が変わる。前の土地で真実だったことは 次の土地では間違いだったりする。ある土地で ビー玉と呼んである土地では それをラムネ玉と呼ぶ。でも自分が新しい土地に行ったら それをそのまま受け止めて 前からラムネ玉と呼んでいたように振る舞う。どこの土地に行っても同じだったことは 人に嫌なことを言ったりしたりするのは 人に嫌われるということ。大切なのは 何処へ行っても“やさしさ”。自分のことは自分でして 人が困っていたら助ける、助け合う。」
など。
人は誰でも自分の心理学を持っていますが Mさんほどアドラー心理学に近いものを持っておられる方には 初めて出会いました。
「アラスカでも生きていけそう。」
と言うのは Mさんが自分の柔軟性、適応力に気づかれていたということですね。
Mさんは 教師を32年間勤めた後退職し ホームヘルパーの資格を取って 時々ヘルパーをされています。
秋からは エステシャンになる学校へ通われるとのこと。
新しいことへの挑戦をためらわない態度は 子どもの頃に培われたものですね。
2009年6月25日木曜日
Kさん:お兄さんの思い出
兄はね 先天性の心臓病だったの。
スポーツが好きで
「サッカーをしたい。」
って言ってたんだけど 体に負担がかかるから 卓球をしてたのね。
二十歳までしか生きられないって言われてたのよ。
その頃 心臓の手術が始まったころで
うまく行けば もっと生きられるって
可能性にかけて 手術をしたの。
高校1年生だった。
結局 うまく行かなくて 亡くなったの。
その時 たまたま 近所の人が
手術の時の看護婦さんだったのね。
兄が亡くなった後 家に来て
“兄が手術を怖い、って手術台の上で震えていた。”
って 母に話したのね。
母が泣き崩れていたのを
よく覚えてるの。
私、自分が冷たいのかな~って思うんだけど
母をかわいそうだとか思ったんじゃないの。
どうしてこの人は 母にそんなことを言うのかな、
って 思ったのね。
そうそう、昔、お風呂って
薪で焚いてたのね。
私がお風呂へ入る時
兄が 竹の火起しを使って
お風呂の追い炊きをしてくれてたわ。
テレビが入ったころで
私の布団とテレビの間にちゃぶ台を立てて
つい立にしたのよ。
意地悪なんだけど
私、どうしてこんなこするのかな~って
思ったことを覚えてる。
私、兄が手術台の上で震えていたって聞いてから
死ぬのが恐いって思ってた時期があったわ。
~~~
Kさんに 早期回想から解釈出来るKさんについてお話し、
‘冷たいのではない’ことをお伝えしました。
喜んで頂けました。
お互いにお礼を言って電話を終えることが出来、うれしく思いました。
スポーツが好きで
「サッカーをしたい。」
って言ってたんだけど 体に負担がかかるから 卓球をしてたのね。
二十歳までしか生きられないって言われてたのよ。
その頃 心臓の手術が始まったころで
うまく行けば もっと生きられるって
可能性にかけて 手術をしたの。
高校1年生だった。
結局 うまく行かなくて 亡くなったの。
その時 たまたま 近所の人が
手術の時の看護婦さんだったのね。
兄が亡くなった後 家に来て
“兄が手術を怖い、って手術台の上で震えていた。”
って 母に話したのね。
母が泣き崩れていたのを
よく覚えてるの。
私、自分が冷たいのかな~って思うんだけど
母をかわいそうだとか思ったんじゃないの。
どうしてこの人は 母にそんなことを言うのかな、
って 思ったのね。
そうそう、昔、お風呂って
薪で焚いてたのね。
私がお風呂へ入る時
兄が 竹の火起しを使って
お風呂の追い炊きをしてくれてたわ。
テレビが入ったころで
私の布団とテレビの間にちゃぶ台を立てて
つい立にしたのよ。
意地悪なんだけど
私、どうしてこんなこするのかな~って
思ったことを覚えてる。
私、兄が手術台の上で震えていたって聞いてから
死ぬのが恐いって思ってた時期があったわ。
~~~
Kさんに 早期回想から解釈出来るKさんについてお話し、
‘冷たいのではない’ことをお伝えしました。
喜んで頂けました。
お互いにお礼を言って電話を終えることが出来、うれしく思いました。
2009年6月9日火曜日
Mさんの思い出
20年ぶりに Mさんと連絡が取れ 2週間ほど一緒に過ごすことが出来ました。
その中で Mさんのたくさんの早期回想を聞かせてもらうことが出来ました。
驚くことに 彼女の一番幼いころの思い出は 彼女がオムツをしていた頃でした。
自分がどこに居て お母さんがどんな言葉をかけ 自分がどう感じたかを
よく覚えておられました。
Mさんは 小学校教師を退職後 新たな人生を始めるために
色々学んでおられます。
「こそだてCafeの勇気づけレッスン」も受けていて下さいます。
精神病理を予防するための「こそだてレッスン」
自分の人生をいっそう明るく、楽しくする為のこそだてレッスンを
ひとりでも多くの方にお伝えしていきたいという気持ちを
強くした彼女との再会でした。
その中で Mさんのたくさんの早期回想を聞かせてもらうことが出来ました。
驚くことに 彼女の一番幼いころの思い出は 彼女がオムツをしていた頃でした。
自分がどこに居て お母さんがどんな言葉をかけ 自分がどう感じたかを
よく覚えておられました。
Mさんは 小学校教師を退職後 新たな人生を始めるために
色々学んでおられます。
「こそだてCafeの勇気づけレッスン」も受けていて下さいます。
精神病理を予防するための「こそだてレッスン」
自分の人生をいっそう明るく、楽しくする為のこそだてレッスンを
ひとりでも多くの方にお伝えしていきたいという気持ちを
強くした彼女との再会でした。
2009年3月27日金曜日
Yさんの思い出
「自分を好き」とおっしゃるYさんです。
「私、学校とか先生に あまり良い思い出ないんですよ。」
「小学校の1年の時にね、母親が個人面談に行ったんです。そして先生が
“お宅のお子さんは 机の中の整頓が出来ません。”
って 言ったんですよ。それまで そんなこと何も言われたことが無かったので
‘何で 直接私に言わないで 親に言うんだ!’
と 思いましたよ。」
「2年生の時にはね、教室の後ろにランドセルを入れるロッカーがあって
ベルトやランドセルをはみ出さないように収納することになってたんですね。
すると きちんと入っていないロッカーを先生がチェックして 係の生徒にやらせるんです。
すると そのチェックがどんどんエスカレートして 定規を使って測るようになったんです。
あの時、みんな不思議に思わないで そのチェックにのめり込んでいるんです。集団心理って
こわいな~~~、と思いましたね。」
「3年生の時だったかな?先生に頼まれて テストの結果をエンマ帳に転記するよう頼まれたんですね。
で、1箇所飛ばしたかなんかで その後、ずっとずれたんですね。それに気づいて “あっ、間違った。”
って言うと 先生がそのエンマ帳で 私の頭をぶったんです。すごく腹が立って よっぽど家に帰ろうかと
思いましたよ。まあ、我慢しましたけどね。」
「2年生だったかな、プールが初めてできたんですよ。体育の時間になって“ふ~~~ん、プールなんだ、どんなんだろう。”
と思ったんですね。泳げ、って先生が言うから まあ、泳いだつもりになって歩いていたんです。すると先生が 私の名前を読んで “お前、歩いているだけだろう!そんなのは泳いでいるんじゃないんだ!”
って言ったんですよ。教師なのに生徒に大勢の前で恥じをかかせるなんて、と腹が立ちましたね。」
「勇気をくじかれたということは無くて、その度に なんてアホなんだ、と腹が立っていましたよ。」
Yさんの記憶に 何十年も(何年ではなく)も残っている小学校時代の記憶です。
Yさんには 勇気くじきとはならなかった同じ体験が 子どもによっては 勇気くじきとなって残ることもあります。
勇気をくじかれた場合には「自分を好き」では無く「自分に自信が無い」ことにつながります。
「私、学校とか先生に あまり良い思い出ないんですよ。」
「小学校の1年の時にね、母親が個人面談に行ったんです。そして先生が
“お宅のお子さんは 机の中の整頓が出来ません。”
って 言ったんですよ。それまで そんなこと何も言われたことが無かったので
‘何で 直接私に言わないで 親に言うんだ!’
と 思いましたよ。」
「2年生の時にはね、教室の後ろにランドセルを入れるロッカーがあって
ベルトやランドセルをはみ出さないように収納することになってたんですね。
すると きちんと入っていないロッカーを先生がチェックして 係の生徒にやらせるんです。
すると そのチェックがどんどんエスカレートして 定規を使って測るようになったんです。
あの時、みんな不思議に思わないで そのチェックにのめり込んでいるんです。集団心理って
こわいな~~~、と思いましたね。」
「3年生の時だったかな?先生に頼まれて テストの結果をエンマ帳に転記するよう頼まれたんですね。
で、1箇所飛ばしたかなんかで その後、ずっとずれたんですね。それに気づいて “あっ、間違った。”
って言うと 先生がそのエンマ帳で 私の頭をぶったんです。すごく腹が立って よっぽど家に帰ろうかと
思いましたよ。まあ、我慢しましたけどね。」
「2年生だったかな、プールが初めてできたんですよ。体育の時間になって“ふ~~~ん、プールなんだ、どんなんだろう。”
と思ったんですね。泳げ、って先生が言うから まあ、泳いだつもりになって歩いていたんです。すると先生が 私の名前を読んで “お前、歩いているだけだろう!そんなのは泳いでいるんじゃないんだ!”
って言ったんですよ。教師なのに生徒に大勢の前で恥じをかかせるなんて、と腹が立ちましたね。」
「勇気をくじかれたということは無くて、その度に なんてアホなんだ、と腹が立っていましたよ。」
Yさんの記憶に 何十年も(何年ではなく)も残っている小学校時代の記憶です。
Yさんには 勇気くじきとはならなかった同じ体験が 子どもによっては 勇気くじきとなって残ることもあります。
勇気をくじかれた場合には「自分を好き」では無く「自分に自信が無い」ことにつながります。
2009年3月24日火曜日
画家のボブさんの思い出
モントリオールの良いところは 日本各地、世界各国から来た人々に会えることです。
きょうも ボブさんと話す機会がありました。
ボブさんは イタリア人の画家です。
ご両親と共に9才の時に移民としてモントリオールに来られました。
来られた時、英語の学校に行かれたそうです。
もちろん 始めは何も分からず ただ学校へ通っていたそうです。
英語が分かるようになった時のことを 次のように話して下さいました。
「3ヶ月位経った時かな、昼休みで校庭に居たんだよ。
すると 他の子ども達が話していることが 分かったんだ。
その瞬間のことを思い出すだけで 鳥肌が立つほどだよ、ほら
見てごらん! その後は 楽だったよ。子どもの話してることなんて
簡単な言葉だからね。」
そのボブさんの イタリアの小学校での低学年のころの思い出の一つです。
「今でもはっきり覚えているよ。
Mrs.M.G.フルネームまで言えるね。
時々 絵日記を描かされてたんだよね。
ある時 きちんとした紙に書いて
絵も描いて提出することがあったんだ。
先生は 僕の絵を見て、
“何かを写したんでしょう。”
と 叱ったんだよ。
“写してません。自分で描きました。”
と言っても 信じてくれなくて、頭にきたよ。
神に誓えるよ、自分で描いたって!
悪い成績を付けられてたね。
“今から思うと 良く描けてるね、もっと描いてごらん。”
って言われてたらと思うね。」
ボブさんは 哲学と宗教の修士も修められた方で 絵にはとても深みがあります。
日本の画廊に紹介させて頂く機会があれば・・・と思っています。
ボブさんのサイト
http://www.rotondo.cc
きょうも ボブさんと話す機会がありました。
ボブさんは イタリア人の画家です。
ご両親と共に9才の時に移民としてモントリオールに来られました。
来られた時、英語の学校に行かれたそうです。
もちろん 始めは何も分からず ただ学校へ通っていたそうです。
英語が分かるようになった時のことを 次のように話して下さいました。
「3ヶ月位経った時かな、昼休みで校庭に居たんだよ。
すると 他の子ども達が話していることが 分かったんだ。
その瞬間のことを思い出すだけで 鳥肌が立つほどだよ、ほら
見てごらん! その後は 楽だったよ。子どもの話してることなんて
簡単な言葉だからね。」
そのボブさんの イタリアの小学校での低学年のころの思い出の一つです。
「今でもはっきり覚えているよ。
Mrs.M.G.フルネームまで言えるね。
時々 絵日記を描かされてたんだよね。
ある時 きちんとした紙に書いて
絵も描いて提出することがあったんだ。
先生は 僕の絵を見て、
“何かを写したんでしょう。”
と 叱ったんだよ。
“写してません。自分で描きました。”
と言っても 信じてくれなくて、頭にきたよ。
神に誓えるよ、自分で描いたって!
悪い成績を付けられてたね。
“今から思うと 良く描けてるね、もっと描いてごらん。”
って言われてたらと思うね。」
ボブさんは 哲学と宗教の修士も修められた方で 絵にはとても深みがあります。
日本の画廊に紹介させて頂く機会があれば・・・と思っています。
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