2009年6月17日水曜日

エジプトは東洋・・・

若い友人、Tさんのご主人Sさんは エジプト人です。

昨夜 Sさんとインド人、私の3人で話していたときのことです。
Sさんが
「エジプト人は 自分達を東洋人だと考えている。インド人、日本人、エジプト人に
共通する何かがあると思う。」
と おっしゃいました。
「えぇっ、エジプトは中東ではないんですか?」
と尋ねると
「大抵のエジプト人は 自分達を中東とは考えていないと思います。人によって
どこを中東と呼ぶかは本当に様々ですが・・・。」
と おっしゃいました。

半世紀近くを 日本国内だけで生きた私にとって
3人ではなしていて 3人が別の人種というだけでも
まだまだ不思議な感覚になることがあります。

エジプト人、インド人、日本人に共通するものの内容に行く前に
違いの方向に話が行ってしまいました。
またの機会に 共通している、とSさんが見ておられるものを
聞いてみたいと思います。

2009年6月15日月曜日

Mさんから学んだこと

教職を退職した年 Mさんは ホームヘルパーの講習を受けられました。
今は 月に何回か ホームヘルパーとして働かれているそうです。

私は 老々介護状態の両親のことを Mさんにお話しました。

父は 87才、母は84才です。
父の方は 数年前に直腸ガンの手術を受け ストマーを付けています。
その手当ては 父が自分でしています。
父の退職後の主な仕事は 庭の手入れ、柿の木の手入れでした。
ところが 母が自由に歩けなくなって 母がしていた買い物、家の中の掃除、
お風呂の準備と後始末、食事を台所から運ぶ・食後の食器を台所へ運ぶ等の
家の中の仕事も 父がするようになっています。

私が帰国して しばらく一緒に暮らし、どのように分担しているのか
詳しく知ることができました。

洗濯の例です。

洗濯機から 父がカゴに入れた洗濯物を
物干しを吊るした場所に運びます。
物干しは S字型フックを使って 母が座って
物干しに手が届く位置にあります。
母が カゴの洗濯物を物干しに吊るします。
父は 吊るし終わった洗濯物を 外に出します。
父が取り込んだ洗濯物を 母がたたみ、
父は 自分の物は自分で箪笥に片付けます。

ホームヘルパーの知識を持ったMさんによると
「持っている能力をとりあげないで 使っている」という点で
父の母を介護する態度は 理想的、テキスト通りなのだそうです。

状態を見ながら できることは出来るだけ自分でやることが
能力を維持する上で大切だということでした。

育児の「自立心・責任感を育てる」為には
手や口を出しすぎないと 共通していました。

専門的にヘルパーの勉強をされたMさんの知識は
とても参考になりました。

2009年6月14日日曜日

しあわせ感

きょうは 「てらこや」の日でした。

仮説社の「日本歴史入門」の中に「てらこや」の解説があります。
この本を 先日モントリオールへ来られたMさんから頂いたのです。
「てらこや」の説明があり びっくりしました。

どんなことでも 知らなかったことを知るのは楽しいことです。

Mさんには この他に 佐伯チズさんの ローションパック、
フィットネスクラブ・カーブスで習ったという 野菜の摂取量、
豆のアレルギーなど 色々なことを教えて頂きました。

そうそう、彼女は
「私も あなたのようにしあわせになりたいから あなたの講座を
受けるわ。」
と 「勇気づけ講座」の受講生にもなって下さいました。

「勇気づけ講座」は 心を軽く しあわせにします。

ローションパックと野菜摂取は 体を気持ちよくするように
感じます。
体を気持ちよくするために これまで 運動と温泉パウダーを使って
入浴をしていました。

ローションパックと野菜大量摂取が加わって
いっそうしあわせ感が増したように思います。

2009年6月13日土曜日

ベトナム人のCさん

YMCA続きです。

きょうは 午前中のクラスに行きました。

同じ通りに住んでおられる ベトナム人のCさんと 2ヵ月半ぶりに会えました。
Cさんは 50代で 英語とフランス語の翻訳をされています。

お仕事がらもあるのでしょうか 私のフランス語の勉強を気にかけて
「いつでもお手伝いするわよ。」
と言って下さいます。

Cさんが10代だった頃は ベトナムには大学が無く、大学に行く場合は
ヨーロッパに行ったそうです。
Cさんは 19才で イギリスの大学に進学し、中国文化を学び
中国にも留学、そこでカナダ人のご主人に出会われたとか・・・。

西洋の文化と東洋の文化の違いが話題に乗る時、
同じ東洋人として 共通の文化・価値観を見出すことがあります。

「ニューヨークは人種のるつぼ」と読んだことがありますが
モントリオールでも 様々な出会いが楽しめます。

彼女の今の心配は 台湾で半年の語学留学の後
中国を旅行している 19才の娘さんの安否です。
娘さんは オーストラリアを縦断する旅をした後 台湾へ向かわれたそうです。

若いうちに世界のあちこちへ行く娘は
心配だけど うらやましい・・・
とも おっしゃっていました。

2009年6月12日金曜日

2ヶ月ぶりのYMCAで

モントリオールに帰って 2ヶ月ぶりでYMCAのクラスに行きました。

受付の顔見知りのKさんが
「長く見なかったね~~~。どこへ行ってたの?」
と 文字通り目を丸くして声をかけてくださいました。

また ピラティスのクラスで一緒だったYさんは
「日本は どうだった?自分の国って良いでしょう!!!
あなたにまた会えてうれしいわ!」
と・・・。

温かい言葉をかけてもらって しあわせな気持ちになったひとときでした。

そういえば 家の近所の人たちも 会うたびに
「お帰りなさい!」
と 声をかけて下さっています。

日本から来たMさんは それを見て
「なんだか 昔の日本の田舎のようだね。」
と おっしゃっていました。

温かいひとことは かけられた人をしあわせな気持ちにするものだと
しみじみ思いました。

2009年6月10日水曜日

Mさんからの手紙

Mさん(6月9日の早期回想のMさん)が 日本に帰国される前に手紙を下さいました。

「いろいろお世話になり 有難うございました。今回のカナダ旅行は 予想以上の楽しさでした。とても2週間と思えないほどもりだくさんでした。特に 福田さんとのおしゃべりは 毎回 刺激的であたたかいものでした。福田さんとは 20年くらいあっていなかったのに 全く時間を感じさせませんでした。
中略
私のアレルギーの食事をかえってよろこんでくれたのも 意外で面白い出来事でした。あと、ローションパックが気に入ってくれて
ローションまで作ろうとしたところに カナダにいる人のバイタリティを感じました。
又お会いできる事を楽しみにしています。」

Mさんに出会ったのは 20代前半の教師になるための学校に行っていた頃です。
私たちは同じ団地に住んでいて 同じバス路線を利用していました。
本数の少ないバスなのに 時間になってもバスが来ませんでした。
「来ませんね。」
ということから会話が始まり、タクシーを利用しました。
Mさんが教師であろうことは 持ち物等から予想していました。
私が学生であることを知ると Mさんは
「私は働いているから タクシー代は私が払うから。」
とおっしゃいました。

次に会ったのも バスです。
私も教師として働き始めていました。
「算数わかる教え方という本を探している。」
と言うと
「家にあるから おいでよ。」
と誘ってくださり、そこからお付き合いが始まりました。

その後数年して私が他県に転居し、
お付き合いが中断していましたが ネットで彼女の名前を発見し、
20年ぶりにお会いできたのです。

出会ったころから数えると なんと35年も経っています。
お互いに
「変わっていないね。」
と言い合いました。

心理学では 10才位までに性格が出来上がると言っています。
変わらないわけですね!

そして ほんとうに二人とも変わっていませんでした。

2009年6月9日火曜日

Mさんの思い出

20年ぶりに Mさんと連絡が取れ 2週間ほど一緒に過ごすことが出来ました。
その中で Mさんのたくさんの早期回想を聞かせてもらうことが出来ました。

驚くことに 彼女の一番幼いころの思い出は 彼女がオムツをしていた頃でした。
自分がどこに居て お母さんがどんな言葉をかけ 自分がどう感じたかを
よく覚えておられました。

Mさんは 小学校教師を退職後 新たな人生を始めるために 
色々学んでおられます。

「こそだてCafeの勇気づけレッスン」も受けていて下さいます。

精神病理を予防するための「こそだてレッスン」
自分の人生をいっそう明るく、楽しくする為のこそだてレッスンを
ひとりでも多くの方にお伝えしていきたいという気持ちを
強くした彼女との再会でした。