2009年6月29日月曜日

きょうのできごと

モントリオールは世界ジャズフェスティバルを開催し始めて30年になります。
今年は明日6月30日から7月12日に開かれます。

昨夜はその会場の近くでSeraiという劇団の20周年を祝うショーがありました。
モントリオールはニューヨークと同様に人種のるつぼです。
そのショーでも出演者も観客も様々な国の人々でした。

会場が暑かったので 開演まで涼もうと外に出ました。
「暑いですね・・・」
「人がいっぱいだから 余計に暑くなるのよね!」
と言ったたわいない話から Aさんと言う女性と話が弾みました。

彼女はギリシャ系カナダ人です。
Aさんも劇に関わる仕事をしておられるそうです。
私が心理関係の仕事をしていると聞くと
彼女の脚本について語り始めました。
書いている時は全く気がつかなかったけれど
出来上がった作品が上演された時
内容が自分の人生を語っていた、
また8年ほど前に関わっていた劇の団体が解散した時に
うつ病を経験した、と・・・。

「Aさんはもしかしたら 子どもの頃に同じ様な体験をされている
かもしれませんね。」
と言うと 驚いたように
「そうなのよ。続くことを望んだけれど自分の力ではどうしょうもなくて
無力さを味わったの。」
とおっしゃいました。

アドラー心理学に関心を持って頂けました。
「メールするから!」
と言って下さいました。
新しい出会いになるかも知れません。

2009年6月27日土曜日

MMFCAのワークショップ

MMFCA(Montreal Multicultural Family Counseling Association)
は アドラー心理大学院の卒業生3人で作った組織です。
私たちは Multiculturalの文字通り 3人共出身国、肌の色が異なります。


7月から9月まで 18才から25才までの青年対象のワークショップを
開催することになりました。
モントリオール市内の青少年援助団体の共催です。

未来ある青年とのワークショップが意義のあるものであったと
感じてもらえるような内容を提供したいと思っています。

2009年6月25日木曜日

Kさん:お兄さんの思い出

兄はね 先天性の心臓病だったの。
スポーツが好きで 
「サッカーをしたい。」
って言ってたんだけど 体に負担がかかるから 卓球をしてたのね。
二十歳までしか生きられないって言われてたのよ。
その頃 心臓の手術が始まったころで
うまく行けば もっと生きられるって
可能性にかけて 手術をしたの。
高校1年生だった。
結局 うまく行かなくて 亡くなったの。
その時 たまたま 近所の人が
手術の時の看護婦さんだったのね。
兄が亡くなった後 家に来て
“兄が手術を怖い、って手術台の上で震えていた。”
って 母に話したのね。
母が泣き崩れていたのを
よく覚えてるの。
私、自分が冷たいのかな~って思うんだけど
母をかわいそうだとか思ったんじゃないの。
どうしてこの人は 母にそんなことを言うのかな、
って 思ったのね。

そうそう、昔、お風呂って
薪で焚いてたのね。
私がお風呂へ入る時
兄が 竹の火起しを使って
お風呂の追い炊きをしてくれてたわ。

テレビが入ったころで
私の布団とテレビの間にちゃぶ台を立てて
つい立にしたのよ。
意地悪なんだけど
私、どうしてこんなこするのかな~って
思ったことを覚えてる。

私、兄が手術台の上で震えていたって聞いてから
死ぬのが恐いって思ってた時期があったわ。

~~~

Kさんに 早期回想から解釈出来るKさんについてお話し、
‘冷たいのではない’ことをお伝えしました。
喜んで頂けました。
お互いにお礼を言って電話を終えることが出来、うれしく思いました。

リハビリ効果

84歳の母がリハビリセンターに通い始めて3回目。

どんな様子か電話してみました。
「若い職員の方々が とても親切でよくして下さるの。
みんな頑張っていらっしゃるから 
私も頑張ろう、という気持ちになれる。」

「リハビリでは
“Fさん、もう1回歩きましょうか”
と聞かれるから
“はい”
という気にさせられるの。 
“歩きましょう!” 
じゃなくて 
“か?”だから。」
と母。

「そう… じゃあ もし “歩きましょう!” って言われたたら どんな気持ちになるの?」
との私の問いに
「足が痛いのに...嫌だな~~~と思う...」

勇気付け講座で 子どもの立場に立って考えるという
ロールプレイをします。

やる気にさせる声のかけ方は 子育てでもお年寄りのリハビリでも
同じなのです。。。。。

改めて 納得しました。

2009年6月23日火曜日

登校拒否だったY君のお母さんの実践

日本に帰国した4月のことです。

10年以上前に 講座を受けてくださったY君のお母さんに9年ぶりにお会いしました。
お子さんの登校拒否の状態を改善する為に
「勇気づけの育児講座」の内容を真摯に実践された方です。
9年前は 高校進学をお子さんが決意された、という段階でした。

「この9年間、いつも思い出していました。」
と おっしゃって下さいました。

私も 大学院の授業で 親子関係が出てくる度に
「その後 どうされているかしら・・・」
とよく思い出し、その後のY君のことを
教えて頂きたいと 思っていたのです。

Y君は 高校を卒業し お母さんと同じ職業に就くために
専門学校へ通われたそうです。
就職して4年目とのことでした。
「とても楽しんで仕事に通っています。勇気づけの講座に出会って
本当に良かったです。」
と 笑顔で話して下さいました。

Y君のお母さんは Y君の不登校を心配して
不登校の親の会に参加しておられました。
私が「勇気づけの対応」をご紹介すると
「私が知りたかったのは こういうことだったんです。」
と 言葉に力を込めておっしゃったことが
思い出されます。

お母さんのお姉さん、そしてその職場の方々にも
「勇気付けの育児講座」を紹介して下さいました。

Y君のお母さんのこころからの実践が
Y君の進路選びとご家族の幸せにつながっていると
私も本当にうれしく思いました。

モントリオールの介護車

今朝9時少し前のことです。

交差点に差し掛かった私の前を Medicar と表示のある
大型バンが横切りました。

車は 少し行って停車し、運転手さんが降りてきました。
車が止まった家のバルコニー(地面から2メートル位の高さ)に
白っぽい箱型の建造物が付いています。

少しすると 看護婦さんらしい人とその家の方が出てきました。
まもなく お年寄りが車椅子で箱の中心に入りました。

なんと その箱のように見えたものはエレベーターになっています。
ゆっくりと地面の高さまで車椅子に乗ったお年寄りが降りてこられました。
運転手さんは 介護車の中へ車椅子を押しました。

モントリオールで 初めてみた介護車と利用されている光景です。

自分の親の年齢が重なって 
これまで見過ごしてきたものが目に止まるようになった
ということかもしれません。

「こども叱るな 自分が来た道、
年寄り叱るな 自分が行く道」

いつ どこで聞いたのか読んだのか
全く記憶が無いのですが 
実感する この頃です。

2009年6月20日土曜日

捨て掃除

Mさんからのメールで「捨て掃除」という聞きなれない言葉を知りました。

「捨て掃除って 何ですか???」
という私からの 質問のメールに 次の返事が来ました。

「狭い場所を決めて、15分間捨てる物ととって置くものに分けて、
とって置く物は、元に戻す。今日は、引き出し一つやりました。
昔使ってた引き出しで、殆どいらない物でした。」

さすが お掃除上手になるコースを受け、実践されている方だと、
改めてMさんの行動力に感動!!!

私も見習うことにしました。

ずっと本棚と机の上が気になっています。
「捨て掃除:その1」は
気になっている場所から始めることにしました。

2009年6月18日木曜日

母のリハビリ体験

要介護1に認定されている母が 介護老人保健施設・リハビリセンターで
リハビリを始めました。

ケアマネージャーのTさんに初めて勧められた時は
全くその気の無かった母です。

ところが 父や介護タクシーの運転手さん、私の言葉などで
リハビリセンターでお世話になることになりました。

朝、センターの車が迎えに来てくださり、リハビリやマッサージを受け、
昼食を頂き、またリハビりを受け 夕方に送って頂けるという
本当に至れり尽くせりの内容です。
遠方の私は 気がかりで初日と2回目の後、電話を入れました。

「センターの方々は 皆さん親切で温かく 一生懸命やってくださる。」
「ひとり 隣の集落の方がおられて “知っている人がいて良かった。” と言ってくださった。」
「お父さんの迷惑にならないよう 少しでも良くなるように リハビリを続ける。」
などの うれしい言葉が出てきました。

「続けられそう?」
と 問いかけた私に
「続けなければいけないの!みなさん、私よりひどい方でも 頑張ってリハビリされているの!少しでも良くなりたいの。」
と 驚くほど前向きな言葉が返って来ました。

「たった2回のリハビリの後なのに、台所の流し台の前に立つ姿勢が 良くなった。」
と 父の言葉。

ケアマネージャーのTさん、介護タクシーの運転手さん、リハビリセンターの皆様、
本当にありがとうございます。

母のリハビリから プラスのエネルギーを感じた出来事でした。

2009年6月17日水曜日

エジプトは東洋・・・

若い友人、Tさんのご主人Sさんは エジプト人です。

昨夜 Sさんとインド人、私の3人で話していたときのことです。
Sさんが
「エジプト人は 自分達を東洋人だと考えている。インド人、日本人、エジプト人に
共通する何かがあると思う。」
と おっしゃいました。
「えぇっ、エジプトは中東ではないんですか?」
と尋ねると
「大抵のエジプト人は 自分達を中東とは考えていないと思います。人によって
どこを中東と呼ぶかは本当に様々ですが・・・。」
と おっしゃいました。

半世紀近くを 日本国内だけで生きた私にとって
3人ではなしていて 3人が別の人種というだけでも
まだまだ不思議な感覚になることがあります。

エジプト人、インド人、日本人に共通するものの内容に行く前に
違いの方向に話が行ってしまいました。
またの機会に 共通している、とSさんが見ておられるものを
聞いてみたいと思います。

2009年6月15日月曜日

Mさんから学んだこと

教職を退職した年 Mさんは ホームヘルパーの講習を受けられました。
今は 月に何回か ホームヘルパーとして働かれているそうです。

私は 老々介護状態の両親のことを Mさんにお話しました。

父は 87才、母は84才です。
父の方は 数年前に直腸ガンの手術を受け ストマーを付けています。
その手当ては 父が自分でしています。
父の退職後の主な仕事は 庭の手入れ、柿の木の手入れでした。
ところが 母が自由に歩けなくなって 母がしていた買い物、家の中の掃除、
お風呂の準備と後始末、食事を台所から運ぶ・食後の食器を台所へ運ぶ等の
家の中の仕事も 父がするようになっています。

私が帰国して しばらく一緒に暮らし、どのように分担しているのか
詳しく知ることができました。

洗濯の例です。

洗濯機から 父がカゴに入れた洗濯物を
物干しを吊るした場所に運びます。
物干しは S字型フックを使って 母が座って
物干しに手が届く位置にあります。
母が カゴの洗濯物を物干しに吊るします。
父は 吊るし終わった洗濯物を 外に出します。
父が取り込んだ洗濯物を 母がたたみ、
父は 自分の物は自分で箪笥に片付けます。

ホームヘルパーの知識を持ったMさんによると
「持っている能力をとりあげないで 使っている」という点で
父の母を介護する態度は 理想的、テキスト通りなのだそうです。

状態を見ながら できることは出来るだけ自分でやることが
能力を維持する上で大切だということでした。

育児の「自立心・責任感を育てる」為には
手や口を出しすぎないと 共通していました。

専門的にヘルパーの勉強をされたMさんの知識は
とても参考になりました。

2009年6月14日日曜日

しあわせ感

きょうは 「てらこや」の日でした。

仮説社の「日本歴史入門」の中に「てらこや」の解説があります。
この本を 先日モントリオールへ来られたMさんから頂いたのです。
「てらこや」の説明があり びっくりしました。

どんなことでも 知らなかったことを知るのは楽しいことです。

Mさんには この他に 佐伯チズさんの ローションパック、
フィットネスクラブ・カーブスで習ったという 野菜の摂取量、
豆のアレルギーなど 色々なことを教えて頂きました。

そうそう、彼女は
「私も あなたのようにしあわせになりたいから あなたの講座を
受けるわ。」
と 「勇気づけ講座」の受講生にもなって下さいました。

「勇気づけ講座」は 心を軽く しあわせにします。

ローションパックと野菜摂取は 体を気持ちよくするように
感じます。
体を気持ちよくするために これまで 運動と温泉パウダーを使って
入浴をしていました。

ローションパックと野菜大量摂取が加わって
いっそうしあわせ感が増したように思います。

2009年6月13日土曜日

ベトナム人のCさん

YMCA続きです。

きょうは 午前中のクラスに行きました。

同じ通りに住んでおられる ベトナム人のCさんと 2ヵ月半ぶりに会えました。
Cさんは 50代で 英語とフランス語の翻訳をされています。

お仕事がらもあるのでしょうか 私のフランス語の勉強を気にかけて
「いつでもお手伝いするわよ。」
と言って下さいます。

Cさんが10代だった頃は ベトナムには大学が無く、大学に行く場合は
ヨーロッパに行ったそうです。
Cさんは 19才で イギリスの大学に進学し、中国文化を学び
中国にも留学、そこでカナダ人のご主人に出会われたとか・・・。

西洋の文化と東洋の文化の違いが話題に乗る時、
同じ東洋人として 共通の文化・価値観を見出すことがあります。

「ニューヨークは人種のるつぼ」と読んだことがありますが
モントリオールでも 様々な出会いが楽しめます。

彼女の今の心配は 台湾で半年の語学留学の後
中国を旅行している 19才の娘さんの安否です。
娘さんは オーストラリアを縦断する旅をした後 台湾へ向かわれたそうです。

若いうちに世界のあちこちへ行く娘は
心配だけど うらやましい・・・
とも おっしゃっていました。

2009年6月12日金曜日

2ヶ月ぶりのYMCAで

モントリオールに帰って 2ヶ月ぶりでYMCAのクラスに行きました。

受付の顔見知りのKさんが
「長く見なかったね~~~。どこへ行ってたの?」
と 文字通り目を丸くして声をかけてくださいました。

また ピラティスのクラスで一緒だったYさんは
「日本は どうだった?自分の国って良いでしょう!!!
あなたにまた会えてうれしいわ!」
と・・・。

温かい言葉をかけてもらって しあわせな気持ちになったひとときでした。

そういえば 家の近所の人たちも 会うたびに
「お帰りなさい!」
と 声をかけて下さっています。

日本から来たMさんは それを見て
「なんだか 昔の日本の田舎のようだね。」
と おっしゃっていました。

温かいひとことは かけられた人をしあわせな気持ちにするものだと
しみじみ思いました。

2009年6月10日水曜日

Mさんからの手紙

Mさん(6月9日の早期回想のMさん)が 日本に帰国される前に手紙を下さいました。

「いろいろお世話になり 有難うございました。今回のカナダ旅行は 予想以上の楽しさでした。とても2週間と思えないほどもりだくさんでした。特に 福田さんとのおしゃべりは 毎回 刺激的であたたかいものでした。福田さんとは 20年くらいあっていなかったのに 全く時間を感じさせませんでした。
中略
私のアレルギーの食事をかえってよろこんでくれたのも 意外で面白い出来事でした。あと、ローションパックが気に入ってくれて
ローションまで作ろうとしたところに カナダにいる人のバイタリティを感じました。
又お会いできる事を楽しみにしています。」

Mさんに出会ったのは 20代前半の教師になるための学校に行っていた頃です。
私たちは同じ団地に住んでいて 同じバス路線を利用していました。
本数の少ないバスなのに 時間になってもバスが来ませんでした。
「来ませんね。」
ということから会話が始まり、タクシーを利用しました。
Mさんが教師であろうことは 持ち物等から予想していました。
私が学生であることを知ると Mさんは
「私は働いているから タクシー代は私が払うから。」
とおっしゃいました。

次に会ったのも バスです。
私も教師として働き始めていました。
「算数わかる教え方という本を探している。」
と言うと
「家にあるから おいでよ。」
と誘ってくださり、そこからお付き合いが始まりました。

その後数年して私が他県に転居し、
お付き合いが中断していましたが ネットで彼女の名前を発見し、
20年ぶりにお会いできたのです。

出会ったころから数えると なんと35年も経っています。
お互いに
「変わっていないね。」
と言い合いました。

心理学では 10才位までに性格が出来上がると言っています。
変わらないわけですね!

そして ほんとうに二人とも変わっていませんでした。

2009年6月9日火曜日

Mさんの思い出

20年ぶりに Mさんと連絡が取れ 2週間ほど一緒に過ごすことが出来ました。
その中で Mさんのたくさんの早期回想を聞かせてもらうことが出来ました。

驚くことに 彼女の一番幼いころの思い出は 彼女がオムツをしていた頃でした。
自分がどこに居て お母さんがどんな言葉をかけ 自分がどう感じたかを
よく覚えておられました。

Mさんは 小学校教師を退職後 新たな人生を始めるために 
色々学んでおられます。

「こそだてCafeの勇気づけレッスン」も受けていて下さいます。

精神病理を予防するための「こそだてレッスン」
自分の人生をいっそう明るく、楽しくする為のこそだてレッスンを
ひとりでも多くの方にお伝えしていきたいという気持ちを
強くした彼女との再会でした。