2012年8月30日木曜日

赤ちゃんの記憶

 ちょうちょ、どこいるの?
 ちゅんちゅん、どこいるの?
 あんぽ?
 だめ!おうちかえっちゃだめ!

これは 二男が1才ちょっとの時、初めて話した言葉です。
当時住んでいた鉄筋集合住宅の5階のベランダの出入り口につかまって・・・。

「この子、話せるのね!」
と 驚いた私は 急いでメモしました。

27才になった息子と 先日この言葉について話していた時に「あんぽ?」を 省いてしまいました。
すると 息子は
「ちがうよ、あんぽ?って言ったよ。散歩ってことだけど。」
と・・・。

3ヶ月位の時の記憶、9ヶ月、などいくつか覚えていて そのことを私に話し始めた時は成人に近い頃でした。私の記憶とピッタリ一緒でした。

信じてもらえないことが多い、と言っていました。

最近お話する機会があった方も 7ヶ月くらいの頃に 旅行先で見た景色を はっきりと覚えている、とおっしゃいました。
「本当だと思います。」
と息子の記憶の話をすると
「いままで ずっと否定されてきたんですよ!初めて信じてもらえた!」
と おっしゃいました。

「赤ちゃんは何でも分かっているんだよ!言葉が話せないだけで!」
とは 息子が繰り返し言っていました。

2012年8月29日水曜日

後悔・・・15年間

「私もそうですけれど、私の友達の中にも 大学進学について 親の意向に従ってしまい、“もしあの時に 奨学金でも使って自分のやりたかったことを学んでいたら・・・って言っている人がいます。大学を卒業して社会人になってもです。もう15年間も経ってるのに・・・」

今は15年ですが、それは1年ずつ増えていきます・・・。
記憶から消えるか あるいはそれを肯定出来ない限り・・・。

「勇気づけを実践して 変わられたことはありますか?」
と 聞かれました。

「子どものしたいことを サポート出来たことです。」
とお答えしました。

現在はジャズベーシストになっている二男。
始めは 刺青師になりたいと言っていました。
「なるのなら 一流の刺青師になってね。」
と伝えました。半年後、彼が言いました。
「ベースを習いたい。」

「勇気づけの対応」を知らない時の私であったら
「刺青師なんてとんでもない!」
「半年前には 刺青師になりたいって言っていたでしょう!」
などなど・・・の言葉を言っていたと思います。

「好きなことをするのが 一番!やりたいことが見つかって良かったね!」
と 応援し続けることが出来るのは
「誰の課題?」を学んだからです。
息子の人生は息子の課題。
「具体的な迷惑をかけられていなければ 口を出すべきではない。」
という「勇気づけの対応」を実践しただけなのです。

たまたま昨夜息子と話す機会がありました。
15年間後悔している方があるそうとの話を伝えました。彼が言いました。
「両親に感謝しているよ。」
(彼の父親は 経済的に息子を支えて来ました。)

一緒に支えることが出来なかったのは残念ですが ベーシストになった、チャーリー・ヘイデンに師事できた、という経過は 私の「離婚」があって 彼が私の留学について一緒に行くことを選択したから起きた出来事。
必然・・・を感じます。

「その時親に従ったという自分の決心に後悔している。」
と大切な子どもが言わなくても良いように・・・と願います。
「勇気づけの親子関係実践セミナー」の実践は それを可能にします!!!

2012年8月27日月曜日

就労支援

松戸市女性センターゆうまつどの就労支援サポーターのボランティアに登録してはいますが 相談コーナーに入れないままです。

けれど 違う形で就労支援をさせて頂いていることに気づきました。

療育指導で担当しているお子さんのお母さんがあるときおっしゃいました。
「どうしたら ここの会で働けますか?ハローワークにも ホームページにも載っていませんが・・・。」
と。

「ここで働くことに関心をお持ちなのですか?そうでしたら、理事長にその旨をお伝えしますので 履歴書を事務局にお持ちになれば良いと思います。」
それから 一ヶ月足らず。

今朝頂いたメールに 始めはパートで、その後は勤務時間との兼ね合いで常勤にという話になった、とありました。

知的障害を抱えたお子さんを頑張って育てておられる方が 希望されるところで働くことができるようになられる・・・とても嬉しく思いました。

2012年8月25日土曜日

EMDR:6才の子の記憶

夏休みに入ったばかりの7月末、6才のお子さんにEMDRをする機会がありました。

お子さんのお母さんからの依頼でした。
ある出来事に対して 良い記憶を持っていないと思うので それを扱って欲しい、ということでした。

お子さんと話をすると お母さんのお考えの通りの内容を話してくれました。
子どもへのEMDRは 大人の手続きとは異なります。

幸い5月の学会でアメリカで長く子ども専門にEMDR セラピーをされている方のワークショップを受けて居ました。

それを応用して行いました。

6才のお子さんは EMDRを始める時には「泣いている子どもの顔」を自分の気持ちとして指差しました。
ところが 何回かの刺激の後には「にっこりしている顔」の絵を指差し、さらにもう少し時間が経った時には
「忘れちゃった!」
と・・・。

セラピーから3週間経ってメールでお子さんの状態を伺いました。

「セラピーの後、積極的になりました。」
とのことでした。
お会いした時に詳しくお聞きすることになっています。

2012年8月24日金曜日

友人

「アドラー、って言う精神科医の考え方のセミナーなのよ、アドラー。覚えておいてね!」
1994年のことです。

まだ20代前半の頃、新任の教師として同じ学校で勤務したことのある友人が言いました。

まだネットが普及していなかった当時、本屋さんで「アドラー」という言葉の入った本を探しました。
出会ったのが 野田俊作著の本でした。

「誰の課題!」「誰の責任」という考え方に「もっと学びたい!」という気持ちが高じてアドラー心理大学院へ行くことにもつながりました。

今日、久しぶりに彼女と話をしました。
40年近くのお付き合いです。

友人って良いものだな、と改めて思います。
彼女にアドラーという言葉を教えてもらわなかったら 今の私はありません。

2012年8月23日木曜日

いじめ:加害の子にも心痛む

8月11日の朝日新聞:読者からの投書です。
福岡市の井上 明子さんが 加害者の子どもへの思いを書いておられました。

前略
大人たちは時に口汚い言葉で子どもを叱り、体罰で制裁を加えます。でも、それは子どもの心を傷つけるだけで、教育的には逆効果です。大人は子どもの手本であるべきです。誰もが 心安らかに暮らせる社会の構成員となってくれるよう。子どもと向き合い、温かく見守ってあげることが、大人の責任だと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
井上さんのおっしゃっていることは「勇気づけの対応」と全く同じ考えです。
叱られたこと、体罰を受けたことは 心に傷となって残ります。

EMDRセラピーをしていると 一見健康に見える方でも こころに傷を抱えておられることに驚かされます。
その傷が一人ひとりの性格の一部になっていくので 学校、仕事、恋愛、夫婦関係、自分の子どもへの対応、義理の親族の関係などなど 様々な場面に影響を与えていきます。

健康なこころは 温かい関係からのみ築くことができます。
いじめの問題の対処、「いじめは無かった!」と言える方々も 物事を建設的に対処していけない、事実を知ろうとしない、健康なこころを持っておられない可能性があります。

2012年8月20日月曜日

EMDRセラピー・・・タバコ

モントリオールを離れる日のことです。

「タバコだよね・・・、止めたいんだけどね・・・。」
という息子に 
「EMDRやってみる?」
と問うと 椅子に座りました。

①一番煙草を吸うときのイメージをいくつか出してもらいました。
②出て来た3つの中から 飲んでいる時のイメージを選びました。
③「お酒を飲んでいる、煙草を吸いたい、止めた方が良いと知っている、タバコに手を出す。」
④不快感は「折れる」
⑤不快度は10
⑥肯定的認知:勧められた時に「止めたから。」と言える自分

EMDRの過程で 息子の言葉として出て来たものは 次のようなものでした。
①止めるには 自分に報酬を与える。手を出さなかった時に タバコ1箱分を貯金する。
②止めると良いことがある
③そのお金を貯めて 美味しいレストランに行ける
④食事の方が タバコより美味しい
⑤彼女の家族が安心する
⑥最近交換していないベースの弦を取りかえられる
⑦体に良い
⑧精神に良い
⑨家族が安心するから しあわせになれる
⑩良いことがたくさんある
⑪EMDRを始めた時は 止める気持ちが「1」だったけれど「100」位に上がった

①~⑪のことは 1セットのEMDRの刺激をする度に 息子の口から出て来たものです。
私は指を動かすだけで 終始無言です。もし①~⑪を親が言うと 説教になってしまいます。

EMDRは「眼球運動脱感作再処理」と訳されています。
この再処理の部分が①~⑪、自分が考えをまとめていくということになります。

一番タバコに手を出しがちな場面で断っているという筋書きのEMDRもしました。

前回のEMDR同様に 息子が言ったことは
「整理出来た。」
でした。

今後の報告を聞くことになっています。
楽しみです。






2012年8月19日日曜日

Guelf でのパーティ

「私の友達はみんな日本人のあなたに会いたいって言ってるの。だからパーティをするからね!どれだけの人が来るか分からないけれど・・・。今みんな夏休みで旅行中だから・・・。」

パーティにもいろいろあるので 今回のパーティがどのようなものかは全く分かりませんでした。

友人は結婚以来40年間、料理の担当は夫とのこと。
パーティの買い物も 友人ではなく ご主人が行かれました。

私と友人がウインドーショッピングをしている間に・・・。

3時位から人が集まり始めました。
玄関先がバルコニーになっていて テーブルや椅子が並べられています。
出されていたものは 次のような料理の要らない簡単なものでした。
飲み物は ホストのご主人がひとりひとりに聞いて台所からカップで運んでいました。

①クッキー
②ブラウニー
③クラッカー
④果物の盛り合わせ
⑤ドライフルーツとナッツ

それぞれの都合によって 帰る人がいるかと思えば次の人が現れる・・・というように人の出入りは途切れることがありませんでした。
ほとんどがカップルでしたが もちろん一人で来られた方々もあります。
最後の人が帰ったのは夜10時。

友人によれば その時々いろいろな形のパーティをするそうです。
ディナーを中心にした少人数であったり、10人前後であったり・・・。

私は日本から うちわ、手作りの小物を持って行きました。
うちわはカナダでは売られていないので珍しく、喜ばれました。

友人のご主人は 婦人用の和服の雨具を着物だと思って着ていました。
日本で夫へのお土産に友人が買ったものです。
「それは 婦人用のレインコート。」
と本来の用途を伝えると
「着物ですらないの???」
と友人はがっかりしていたようでした・・・。

皆から口ぐちに聞かれたのは やはり地震と原子力発電のことでした。
誰もが 福島の方々がまだご自宅に帰ることが出来ない状態であることに 一番関心を示されていました。




Guelf(グゥェルフ)の町まで

トロントから電車で1時間ほどの町に友人ご夫妻が住んでおられます。

二夏続けてモントリオールまで会いに来て下さったので お誘いを断ることが出来ず、モントリオールから電車で移動しました。600キロメートルの距離です。

カナダには 新幹線のような列車はありません。
半世紀前、私が子どもの頃に走っていたようなスピードと雰囲気の電車です。
モントリオールを10時に出て、到着したのは午後6時半。

トロントを除いて 目にしたのは ひたすら緑の風景でした。

この友人は日本に1年ほど住んでいたことがあります。
「日本人は どうして狭い所に住んでいるの?カナダにはこんなにたくさん土地があるのだから 皆で引っ越してくれば良いのに!どうして日本から出ないの???」
「日本では東京からどの電車に乗っても ず~っと家やビルが建っていて 空き地が無いんだから!!!もう家が建たないでしょう!この先、どうするの???」

繰り返しこう言う彼女の言葉が納得できました。
畑、畑、空き地・・・緑が続く景色を見慣れていれば 日本は別世界かも知れません。

2012年8月14日火曜日

イギリスで一番美味しいのはインド料理!?

「イギリスで一番おいしいのは インド料理だって聞いたことがあるよ。」
と 息子がカナダ人の友人が持たせてくれた料理を食べながら言いました。

友人のジョアンナさんは 息子も招待して下さったのですが 用があって行けなかったので お皿に作ったすべての料理を盛って持たせて下さったのです。

ミックさんとジョアンナさんは子どものいないご夫婦ですが 私の子どもにも関心を示してくださいます。

「今どこにいるの?どうしているの?ビザが取れて 本当に良かったね!!!」
と・・・。

モントリオール郊外のお宅をお邪魔する度に プリンスエドワード島の赤毛のアンの家とイメージが重なります。

インドで覚えたジョアンナさんのインド料理は 息子のインド人の友人のお母さんの料理と同じくらい美味しかったそうです。

白人しか見たことがなかったんです!!!

息子の高校時代の友人の言葉です。

中学までモントリオールから車で5時間半の村で暮らしていたそうです。
「中学に行ったらクラスには 白人、黒人、アジア人!!!世界中から来ていた!自分の世界が広がった瞬間を覚えています!」

「これは辛いから気をつけてね!」
と私が指したインド料理のピクルスを
「大丈夫!大丈夫!」
と料理に混ぜて口にしました!!!

顔が真っ赤になり
「これは ダイナマイトだ!!!」
と。
それでもめげずに 水とオレンジジュースを飲みながらお皿を空にしました。

ケベック州の田舎で育ち、自分の世界を広げている青年との会話も収穫になりました。

日曜日の息子の演奏には 高校時代のクラスメートが集まりました。
7年ぶりに会ったという人たちも多く、クラス会のようでした。

10才でお母さんが亡くなり、それ以後は日本語を話さず少ししか話せない、という日系のRさんとも7年ぶりに会いました。
(高校時代は 時々家に遊びに来てくれました。)
「家族はみんな日本なの。」
という彼女。
時折モントリオールに来る私にとって 新たな別の出会いになったように思いました。

2012年8月12日日曜日

イギリスで学んだインド料理

モントリオールから車で40分ほど行った田舎に(モントリオールでは 車で40分も行けば 郊外、農村なのです。)
友人夫妻が居ます。

ミック・夫・・・イギリス人
ジョアンナ・妻・・・フランス系カナダ人

共通の友人のパーティで何度か顔を合わせるうちに 行き来する関係になりました。
というのも ジョアンナの英語は イギリス英語なのです。

「あなたはイギリス人なの?」
というあたりから会話が広がったように思います。

若い頃、ミックがモントリオールに来ていた時に知り合い、結婚して
イギリスへ行ったそうです。
その時、ミックはフランス語は話さず、ジョアンナも英語は話さなかった・・・。

ジョアンナの英語がイギリス英語なのは イギリスに行ってから話すようになったから・・・。

モントリオールに行く度にお邪魔するのが恒例になり、
今回も彼女が作った野菜(ナス、ビーツ、インゲン、トマト・・・)が中心のご馳走を頂きました。

イギリスの食事が美味しくない、とオリンピックで話題になったようです。
彼女がイギリスで覚えた料理は なんとインド料理です。
今回も 様々なカレー料理が中心でした。
インドを長く占領していたイギリスには インド料理が一般の家庭にも広まっているということなのです。
・・・インドに行った事がない私には分かりませんが 長くイギリスで暮らしたお二人がそう言い、
ジョアンナがインド料理を作ることは それを物語っていると言えそうです。・・・

そう言えば モントリオールの郷土料理は フランスの田舎料理です。

2000年3月から2009年11月末までほぼ10年モントリオールに住みました。
毎日が新しいこと、面白いことの連続でした。

ミックとジョアンナのイギリス英語を聞くたびに 
やっぱり面白い!と感じます。

2012年8月10日金曜日

勇気づけ・・・実践17年後・・・

アメリカの「アーティスティックビザ」の結果待ちをしていた息子に「ビザが出た。」
と 弁護士から連絡が入ったと知りました。
芸大卒業後、カリフォルニアでジャズ演奏者として仕事が広がっていた状態でした。
今年の1月、一回目の申請でビザが降りず、
7ヶ月間モントリオールで二回目の申請の結果待ちをしていたのです。

息子に EMDRセラピーをしたのが 昨日のことでした。
ビザ待ちのストレスと進路、もろもろのストレスを抱えた状態を見て、
EMDRを提案したのです。

EMDRの感想を聞くと
「自分の抱えている問題が整理できた。何をしなければいけないかが 明確になった。」
と答えてくれました。といっても 内容はシンプルなものでした。
①練習をする
②運動をする
③タバコを止める
当たり前のことですが ストレスを抱えていると見えなくなる、と言っていました。

夜は「台風」という名前のレストランでお祝いをしました。
「肩の緊張がすっかり取れた。」
と言っていました。

彼は2000年の3月、15才で中学を卒業した時にモントリオールに来ました。
高校に入った時には 英語はほとんどゼロでした。

私は 息子が10才の時から「勇気づけ」の対応で接して来ました。

もし私が「勇気づけの対応」を学んでいなかったら 10年前、息子が
「ジャズベース(コントラバス)を習いたい。」
と言った時、何も言わずに応援するということは出来なかったと思います。

子どもがどんな可能性を持っているか 親には計れない!
どんなことでも 子どもが関心を示したことを肯定的に捉え、
「出来る範囲で出来る限り応援し続ける。」
というのは 私の実践でもあります。

涼しいです・・・モントリオール

永住権のカードを受け取る目的もあって シカゴ経由でモントリオールに来ました。

涼しいです!!!
きょうは 17度です。
北海道と同じ緯度ですから 当然と言えば 当然ですが・・・。

それに、今回はついていました。
成田でのことです。
「お客様がご予約になったのはエコノミーですが、きょうは満席になってしまいました。ビジネスクラスのこのお席、真ん中しかご用意できませんが よろしいでしょうか?」

実は 冬にはシカゴで成田行きに乗るときにも 同様のことがありました。
日航の係りの方は アメリカ人でした。
“I have good news for you! We don't have economy anymore. So I will put you premium economy.”
「良い知らせがありますよ!エコノミークラスが満席なので プレミアムエコノミーの席にさせて頂きます。」

言葉の表現の違い、文化の違いを感じました。

カナダ人の心配症の友人が
「長旅だから、リラックスして、ゆっくり寝て!!!」
と発つ一日前にスカイプで言って下さったのですが この話を聞いたら きっと驚くと思います。
「私にとって一番緊張したのは TOEFLの試験勉強していた頃。あれに比べれば どんなことも大変だとは思わないから 大丈夫よ!」
と返事をしたのでした。
ビジネスは初体験だったのですが シートが平らになるのですね!ベットの状態に!
行き来する回数を減らしてビジネスクラスに乗ってみたい、と価格を検索しました。
・・・
実現には遠いと知りました。


2012年8月6日月曜日

仕事も心も育つから

「何かの上達を目指そう 仕事も心も育つから」
と今日の朝日新聞の28面に 東洋英和女学院教授の 岡本浩一さんの言葉としてタイトルにありました。

「一つの分野で上達すると 上達の体験が身について 別の分野への挑戦がずっとラクになるのですね。」

ともありました。
この言葉から モントリオールに居た頃、語学学習について言われていたことを思い出しました。

「二つ目の言語として英語を身につけたら 三つめのフランス語は 英語を学ぶ時よりも ずっとラク。」
です。

言語の領域だけでも 文化の違いを学べることから 心も育ちます。

「大げさに構えず、少し関心があることに飛び込んで上達を目指せばいい。30代、40代、50代もみんなですよ。」
とありました。

これを読んでまた思い起こしたことがあります。
「あなた、その年で留学するの?」
と言った方の言葉です。
その時、私は まだ!40代でした。
終わりに近くはありましたが・・・。

9年8ヶ月の留学+仕事の北米生活を経て
「仕事も心も育つ」
は 自分のこととしても 実感します。

大学院の修士を終えたこと、カナダのカウンセリング・心理セラピーの協会会員であることで、
EMDRのトレーニングを受けることが出来ました。
そして 今、それが仕事に役に立っています。

こころ・・・は 修行中ですが
40代、50代よりは成長したと感じています。

2012年8月5日日曜日

EMDRと発達障害

「発達障害にもEMDRセラピーは効くって、杉山登志郎先生が講演会で言ってはったわ。」
と 関西の臨床心理士の方がおっしゃいました。

お名前を日本EMDR学会の名簿で調べると、静岡県の欄にありました。

発達障害のお子さんでは無かったのですが 6才のお子さんのトラウマ的な記憶を扱ったことがあります。
お母さんのご希望で行ないました。
お母さんが心配されていたお子さんの記憶は ご心配の通りに、ありました。
年数も正確でした。前後関係の記憶もお母さんのお話の通りでした。
6才のお子さんの記憶力に お母さんも驚いておられました。

一回の刺激で お子さんがすらすらと 思いだした出来事を話し始めました。

そして、数回の刺激で 不快度が下がりました。
不快度を見るのに EMDR学会で配布された 子どもの表情の絵(泣いているもの、困った顔など)を使いました。

30分経たないで 嫌な記憶は
「忘れちゃった。」
となりました。

次回、お母さんから経過を伺ってみたいと思います。

2012年8月4日土曜日

EMDRセラピーの効果

「安堵感です。」
と 不快な感情が ゼロになった時にSさんがおっしゃいました。

Sさんは長年ご自身について 悩み、考えて来られました。
EMDRセラピーの存在を知ってから 受けることを決心されるまでに半年を費やされました。

しかし、始められてからは 順調に進んでいます。

これまで 辛い気持ちで受け止めてこられたある出来事に対して、不快な感情が10の最高値から0になった時に
「そうだったんだ!」
と 自然に受け止められます。
とおっしゃいました。

EMDRセラピーを重ねれば重ねるほど
多くの方々が辛い思いを抱えて生きておられることを思い知らされます。

ひとつのイメージに対してEMDRを始める時
涙を流される方も少なくありません。
しかし、30分位経って 不快度が0になった時は
涙は消え、微笑み、笑いになります。

体験してみなければ分からない、
ちょっと不思議なセラピーです。

「気が楽になりました。」
と言って頂くと 私もほっとします。

2012年8月2日木曜日

記憶

アドラー心理学では 子どもの頃の記憶を 「早期回想」と呼びます。
そして 私達がそれを記憶しているのは「意味があること」ととらえます。

子どもの頃の記憶で 自分がどう行動していたか、が今の自分の行動に重なっていることが分かると 多くの方が驚かれます。

トラウマは やはり「記憶」です。
その記憶が 今の行動に影響します。

平手でぶたれたことがある。
うらんでいる。


と 職業訓練を受けている青年から聞いたことがあります。
事実かそうでないかは 別として 
彼がそう記憶していることが 今の彼の建設的な行動を阻んでいます。

彼にEMDRセラピーを行っています。