「“誰がイライラしてるの?”ってロゴを書いたTシャツ作って着たら良いかも?」
と、Aさんがおっしゃいました。
「いつも自分に問いかけてるの!誰が?って。」
言いなりになってしまった・・・。
無理やり買わされた・・・。
行きたくなかったのに・・・。
他者に責任があるかのような気になりがちです。
言いなりになることを選んだ。
買うことを決めた。
行くことを決めた。
「誰が 言いなりになることを選んだのか?」
「誰が 財布を開いたのか?」
「誰が 行ったのか?」
主語を見つけると 責任の主体が明らかになる、ということなのです。
主語がなくても 何となく伝わる言語なので 責任の所在も曖昧になってしまうのでしょうか???