2013年5月25日土曜日

こども時代に受けたトラウマ:EMDR

私はEMDRのトレーニングをカナダで受けました。

「パートⅠ」と「パートⅡ」の間に 実際に実習をして行く必要がありました。

練習台になって下さったのは その年、たまたまモントリオールの劇場の外で会ったギリシャ人の女性でした。

モントリオールでは 居合わせた人と話を始めるのが一般的でした。
彼女から尋ねられました。
「あなたは 何をしてるの?私は劇の脚本を書いたり、演じたりしてるの。」

「心理セラピストよ。」
と答えると
「私ね、彼と一緒になって10年になるのだけれど いつも片足は玄関の外、片足だけが玄関に入っているような気持ちなの。」
と 自分について話し始めました。

「もしかしたら、子ども時代に 安定した家庭を経験されてなかったかも・・・。」
と答えました。
「そうなの・・・・・・・・・・・・。」

「私、今度EMDRのトレーニングを受けるけれど練習が必要なの。クライエントになって頂けませんか?」
という経過から 彼女のトラウマを聞くことになりました。

「父が母を髭そりナイフを持って追いかけた。」

EMDRセラピーでその記憶に関する恐怖の感情が無くなった後、
彼女は泣きながらハグをしてきました。

その後 1年ごとにその記憶について伺いましたが 答えはいつも同じでした。
「すっかり忘れていたわ!」

刃物に関するトラウマは 別の方にも伺いました。
やはり幼児の頃の記憶です。

自分が直接に受けた虐待でなくても なんらかの暴言、暴力を目撃し、
何故だか分からなかったけれど 何年も生きづらさを感じて来た、とおっしゃる方々がおられます。

「子どもは幼いから分からないだろう。」
「覚えていないだろう。」
と大人は油断しがちです。
けれど はっきりと記憶に刻まれることが多くあるのです。

その場に居合わせた大人が 
何らかの声をかけて子どもを守る姿勢を示すことが 
トラウマになるのを弱める役割をします。

ここまで書いて思い出したことがあります。

私が初めて見た映画は小学校1年生の時です。
子ども会の行事で隣町の映画館に行きました。
「チャンバラ」の映画でした。
刀を持って争う人々を見ました。
私は自分が切られるような気がして 母にしがみついていました。

それに気づいたお隣(自宅のお隣)のおばさんが
「育ちゃん、ほんとのことやあらへんで!こわがらんでもええで!」
と声をかけて下さいました。
少しだけほっとしました。

あのお隣のおばさんの一言が私にとって大きな救いだったのだと今になって分かりました。