2012年9月12日水曜日

いじめ・・・2012.9.12 朝日新聞から

茨城県牛久市の福山恵子さんの投稿です。

 いつの世も絶えないいじめ問題。生徒の「出席停止」制度の活用を図ることも検討されている。でも何か違うようなきがする。大人社会も子ども社会も変わりはない。気持ちに余裕のないなかで、内在するコンプレックスと優越感がぶつかりあい、いじめとなるのだと思う。
 私は夏休みに学童保育指導員を務めた。日頃、先生や指導員、親に「管理」されている子どもたちは、短期間だけ担当の私にあんしんして、本音をぶつけてきた。
 「あたしたちは好きで来てんじゃないんだよ~。親の勝手で入れられたんだよ~」
 「もう、子どもじゃないんだから放っておいて」

中略
 人間が複数いれば優劣・強弱の差が出ることは否めない。それをうまく生かし認め合うのが、成熟した社会というものではないか。
 
また「教育」の特集面には 次の記事がありました。

 かつて、いじめや人間関係などを苦に子どもが自殺した地域では、再発防止の取り組みが続いている。悲劇を繰り返さないために、何ができるのか。教育関係者は、今も自問している。

「教育関係者が自問し続けておられるということは 効果的な方法を見いだせないでおられる。」
ということが推測されます。

福山さんの投稿に 解決への提案があります。

私は相互尊敬を基盤においている「勇気づけの実践」を 自問されている方々にお勧めしたいと思います。

親子であっても、子弟であっても、大人と子どもであっても
「人としての価値は対等である。」
「誰に対しても 大切な友人に接するように対する。」
を 実践すれば 子ども達は その態度をモデルとして学びます。

いじめがあるのは それを学んだからです。
大人にいつも叱られている子は 自分に抵抗出来ない子に 
自分がされている態度を取ります。

教育関係者が 自分をモデルであると意識されない限り 自問は続くのではないでしょうか?

「いじめは無かったと認識しています。」
事実を事実として認める勇気を持っておられない 教育者のモデルがそこにあります。